特許化するかノウハウとして秘密管理するかの選択における考慮要素
その1:他社が無断で特許発明を実施する可能性は減っていること
1 侵害行為の特定容易性を過度に重視すべきではないこと
かつては,特許権侵害行為の特定容易性に着目し,物の発明として出願できる場合は出願が推奨され,製造方法の発明の場合には出願せずにノウハウとして秘密管理することも検討すべきとする考え方がありました。これは,物の発明の場合,市場に流通する製品を分析することで特許権侵害行為を容易に特定できるのに対し,製造方法の発明では,製造現場の情報を得なければ侵害行為の発見が容易でないという考えに基づくものです。
しかし,例えば消費型の触媒(重合触媒などで用いられる、触媒と製品とを分離する工程を省略する方法で用いられる触媒)を用いる製造方法の発明の場合は,製品を分析することで製造方法が特定可能な場合があるなど,例外もあります。また,次に述べるように,近年,特許権侵害行為が発覚したときのリスクは増大しており,特許権者が侵害行為を発見しにくい特許であれば,他社が侵害行為を行いうるという考え方自体がそもそも成り立たなくなってきています。
したがって,侵害行為の特定容易性を過度に重視すべきではないといえます。
2 特許権侵害行為のリスクは増大していること
(1)会社従業員の特許法遵守義務が明確化されたこと
会社法362条5項により,大会社かつ取締役会設置会社であれば,同法362条4項6号のいわゆる内部統制システムを整備しなければならなくなりました。この内部統制システムには,使用人の職務の執行が法令および定款に適合することを確保するための体制(会社法施行規則100条)が含まれ,会社の従業員は特許法を遵守しなければならないことが明確化されました。
つまり、コンプライアンス遵守のためのルール作りが会社経営者に義務づけられ、発見されなければ特許権侵害しても良いという考えは成り立たなくなりました。
(2)特許権侵害行為の通報は公益通報者保護法で保護されること
公益通報者保護法2条3項1号(公益通報者保護法別表第八号の法律を定める政令)の「通報対象事実」に特許法が挙げられています。
したがって,会社の従業員が特許権侵害行為を通報する行為は,公益通報者保護法で保護されています。
3 侵害者に有利な日本の民事訴訟法制度も変わりうること
現在,日本の民事訴訟制度にはありませんが,アメリカでは,ディスカバリという文書等の開示要求によって,原則として相手の文書等をすべて相手方から入手することができ,悪質な特許権侵害者には不利な制度になっています。この制度は,費用や負担が膨大となる等の欠点もあるため,今のところ日本に導入される可能性はそれほどありません。
しかし,現在,民事訴訟制度は侵害者に有利になっているとの問題意識から,特許庁においても,特許侵害訴訟における証拠収集手続の強化が議論され,訴え提起後の査察制度導入なども検討されています。
このように,現在相対的に侵害者に有利な日本の民事訴訟法制度も将来は変わる可能性があります。特許権は出願から20年存続しますから,20年間のうちに特許権者に有利な訴訟制度が導入される可能性は大いにあります。
したがって,現在の制度では侵害行為の発見が難しいからといって特許出願を躊躇する必要は少なくなってきています。(弁護士 中野博之)